昔から私のHPを見てくださっている方には、リニューアルしてこのブログになる前の私のウェブサイトに、「コラム」というコーナーがあったのをご記憶でしょうか?当時私は「東京スポーツ」や「週刊実話」にエッセイの連載を持っていて、週刊誌や新聞紙上での連載を見逃した方のために、またもう一度読みたいとのリクエストもたくさんいただいていたので、ウェブ上で過去のコラムをアップしたりしていました。
その中で、こういうことを取り上げた回が。
2003年の3月に「東スポ」に寄稿したエッセイなので、文章は過去のままゆえ稚拙で恥ずかしいのだけれど、今回あえてそのまま掲載します。
『私のレインマン』
中学卒業間近の寒い日、隣のクラスの男の子から突然手渡された映画のチケット。すごく仲が良かったわけではないけれど、芝居が大好きな2人の中学生は、廊下で顔をあわせればお互いの好きな映画や芝居の話をしていた。ミュージカル映画に登場した曲のタイトルがわからない時は、「ラララ~」なんて音のはずれた私のハミングにも彼は必死に耳を傾け、「そんなんじゃわかんないって」と笑いつつも、後日彼がくれたカセットテープにあったのはまさにその曲だったりした。
彼は放課後の北風吹きすさぶ体育館の裏で、「レインマン」のチケットを、寒さか緊張かわからないプルプル震えた手で私に渡した。
「一緒に観に行ってください」。
生まれた初めて男の子にデートに誘われた日。
「レインマン」はすごく観たかった。でも迷った。彼と観に行くのがいやだったのではない。ただ恥ずかしかった。あ、これがデートってものなのかな?と思った途端、恥ずかしさは最高潮に達し、私は彼の靴箱に私の分のチケットを置いて、逃げるように走って帰った。
中学生くらいの年代ってこういうのが妙に恥ずかしかったりする。緊張のあまり逃げ出したくなるような、人の気持ちなんて思いやる余裕すらない。ただわかっているのは、私はきっと彼をものすごく傷つけたんだろうということ。そして彼とはロクに会話も交わさないまま、あれだけ一緒に過ごした廊下ですれ違っても目を合わせることもなく、私達は中学を卒業した。
3年前彼と再会した。
中学時代の友人との宴席に偶然彼も来ていた。私達は幼なじみのように、昔話やお互いの近況を報告しあって楽しい時間を過ごし、メアドを交換して別れた。あの日の話はみじんも出なかった。
その晩彼からメールが来た。
「懐かしい話、楽しかった。会えて本当によかったです。」
私は返信した。
「こちらこそ。また飲みましょう。」
そしてちょっと迷って、こう書いた。
「P.S. レインマンはまだ観ていません」。
私は嘘をついた。「レインマン」はもう観ていた。
でももし彼にこのキーワードが伝わったら、ちょっぴりうれしかった。
実は彼は「レインマン」の一件を覚えていて、その後のメールで私も覚えていたのに驚いたこと、あの時彼もすごく恥ずかしかったこと、とってもショックだったこと、そして私が芝居をやっているのを知った時のこと、テレビで私を見た時自分のことのようにうれしかったことなど、空白の十数年を事細やかに話してくれた。あの時言いそびれた「ゴメンネ」が、こんなに年月が経ってからでも彼に伝えられたのは私にとっても救いになった。
今彼は映画制作の勉強でハリウッドに留学している。あの頃と変わらず映画に夢中になっている彼と、あの頃と変わらず芝居に没頭している私は、いつか一緒に「レインマン」みたいな作品を創ろうね、なんて中学生みたいな壮大な夢を今でもやっぱり話し続けている。
新宿駅を歩く袴姿の卒業生たちを見て、遠い昔のことを甘酸っぱくも誇らしく思い出した。
「私のレインマン」は、いま、ついに映画監督になりました。
彼の短編映画はこの春の夕張国際学生映画祭にもノミネートされました。
今回の映画祭は学生部門でのノミネートだったのですが、彼の作品は全編英語で「マトリックス」のスタント・チームなども出演しており、あまりに完成されすぎていて学生部門らしからぬ、という理由で受賞対象からは外されてしまったようです。非常に日本的な審査形式ですが、まぁこれはしかたないでしょう。
今、彼はハリウッドで映画制作や配給の仕事をしています。
「私のレインマン」は、やっぱりすごい奴でした。
彼の作品の予告編がこちらで見られます。
http://youtube.com/watch?v=_PrerCWTSp4
ぜひ、これからの<監督・AYUMU ODA>に注目してください。








